古き良き漁師町を愛する家族の物語。島長水産と外川ミニ郷土資料館に迫る

レトロな街並みが残る漁師町・外川。今回は、この地で5代にわたって水産業を営み、外川の歴史と共に生きてきたある家族にお話を伺いました。

有限会社 〆印島長水産(シマチョウ水産)
創業100年余
漁師であった初代島田長太郎氏から始まり、昭和56年に(有)〆印島長水産として会社を設立
現在は4代目の島田政典さん(59)を中心に、5代目康貴さん(26)も加わり、鮮魚仲買業・鮮魚販売業を営んでいる

海の前のいけすが自慢!築地に初めて活きた魚を届けた島長水産

外川の地で5代にわたって水産業を営んできた島田家。銚子で初めて活きたままの魚を築地に持っていったのが、島長水産3代目の島田俊雄氏でした。

3代目の妻である島田泰枝さん(84)は、「魚を活かすために海水をくんだり、酸素を入れたり、試行錯誤よね。それでも、外川のお魚を築地に持っていって大丈夫!日本中の人が銚子でうちの魚を食べて、美味しいって言ってくれているんだもの。だから自信はありました」と当時を振り返ります。泰枝さんは20代で嫁いでから60年以上、島長水産を支え、歴史の移り変わりを目の当たりにしてきました。

「いけすを作ることが最大の希望だった」という3代目の思いはしっかりと受け継がれ、現在も漁港のすぐ目の前にあるいけすで魚の鮮度が保たれています。

しかし、これまでずっと経営が安泰だったかといえばそうではなく、厳しい時期もあったそうです。特に東日本大震災で被災した時は津波でいけすが全滅。復興には3年ほどかかったといいます。

現社長で4代目の政典さんは、「廃業しようか、全部投げ捨てて終わりにしようかと思った。でも、母親に叱咤激励されてもう一回やってみようと思って」とその頃を振り返ります。

それからは「やるなら新しいことをやろう」と、海外との取引にも取り組むようになるなど「いろんな人に揉まれて影響されて変化している」といいます。

5代目となる息子の康貴さんも今後について「もっと海外進出について考えたい。活きた魚を海外に届ける仕事をしたい」と意気込みます。

「広げる勇気よりも縮める勇気を」事業継承への思い

歴史ある会社を担う社長らしく、前向きな印象を受ける政典さんですが、実は若い頃は家業を進んで継ぐ気持ちは全くありませんでした。

「高校卒業後に入社しましたけど、この仕事だけは絶対にやりたくないと思っていましたね。外の世界に出て、それから帰ってきたかった。若い頃はなかなか仕事にも身が入りませんでしたよ」と政典さん。

しかし、結婚したあたりから「自分が家業を背負っていこう」という気持ちに変わっていきました。

「女房は片腕になってくれて助かってます。ビジネスパートナーであり、よき女房であり、感謝しています」と、奥様への感謝も忘れません。そして父である3代目に対しては、「とっつきにくいけど優しいところもあるし、感謝もしています」その理由を「私たちの仕事相手って魚なんです。それぞれ生態も取り扱い方も違う。叱られながらも、その知識と経験を父親から教えられて自分があるので」と話し、感謝と尊敬の気持ちをにじませていました。

そして、意外だったのが康貴さんへの思い。

政典さんは「息子には継いで欲しくない」と思っていたそうですが、一方の康貴さんは「高校を卒業する頃には実家を継ごうと思っていました」と、大学で水産業や食品について学び、数年前に実家に戻ってきました。

「ずっと親父の背中を見てきたし、自然と継ごうかなと思っていました」と康貴さん。

祖母の泰枝さんは「帰ってきたときは喜びと戸惑いと…、半分驚きでした。2〜3年外で働いて辛いこともあっただろうけど、今は孫が先頭になって海外に行ったりしてくれるから、もう私が立ち入ることができないような会社になってますね」と康貴さんを評価している様子。

一方父の政典さんは、事業継承についてこんな想いを話してくれました。
「3代目にもずいぶん言われたんですけど『広げる勇気よりも縮める勇気をもて』と思っています。4代目がこうだったから継承するとかは考えなくていいから、自分がやれる範囲で、やりたいことをやってほしいと思っています」

「地域に働かせてもらっている。だから地域にもよくなって欲しい」外川への想い

地元・外川のことを、政典さんは「大嫌いな街」、泰枝さんは「若い頃は鬱陶しくてもうこんなところいや!と思った」と、あまり好きでなかったというお二人。しかし「大嫌いだけど、頑張ってほしい」、「実はみんな優しいの。気にかけてくれて」と、やはり愛着がある様子。

康貴さんも「なんだかんだいって銚子が好きですから、なくなって欲しくないです。ここにずっといたいですから」と話します。

特に政典さんは、島長水産のためにも外川によくなってほしいと願っています。
「うちの仕事は、漁師さんがいなければ成り立ちません。漁師さんや地域に働かせてもらっているんです。だから、漁師さんにも地域にも貢献したいと思いますね」

外川の歴史・あたたかさに触れる『外川ミニ郷土資料館』

島田家の地域活動の一つに、館長の泰枝さんが中心となって運営している、外川駅近くの『外川ミニ郷土資料館』があります。

2007年頃、銚子を走るローカル鉄道『銚子電鉄』が経営危機に陥り、支援のために市民団体『銚子電鉄サポーターズ』が結成されました。その際、泰枝さんも多額の寄付を行うと同時に「電車に乗って外川に来てもらえるように」と、2007年3月18日に外川ミニ郷土資料館をオープンしました。

「最初は休憩場所として、とりあえず椅子を置いて座ってもらおうと思っていたんだけど、今は郷土史研究家の永澤謹吾先生や貝化石研究家の渡辺富夫先生(共に銚子出身)をはじめ、いろんなかたが持ち寄ってくれた資料を飾っています」

現在は、泰枝さんのほか、地元のことに詳しい専門家の先生などが、外川や銚子にまつわるお話を来館者にしています。

「私は外川の街ができた頃の話や、明治、大正のお話もしています。近所の人がお節介で、小さい頃から色々なお話を聞かせてくれたから」と笑う泰枝さん。
「100年も前の写真や昔の道具もあるので、これを見てから外川の街を歩くと、全然違うと思います」とも。

また、大学生や若い人も来るそうで、資料館での交流はもちろん、街で出会った地域の人に話しかけられたりして、外川のあたたかさに感動して帰っていく人も多いそうです。

さらに、若い頃は外川が嫌いだった政典さんも、「資料館に来るいろんな人と話すことで、外から見た外川がわかったことがありがたかった」と話します。

「風が好き」銚子の好きなところを聞いてみました

犬岩

最後にお三方に、銚子の好きなところ、魅力を聞いてみました。

泰枝さん「外川の駅舎を一番見て欲しいです。それから、港までの坂道、塀…。何百年も前のものが残っているんです。漁港に行けば船がたくさんあるし、朝日も夕日も灯台も見られます。外川に住みたいっていう人もいっぱいいるのよ。都会の賑やかな中で生活している人がホッとする場所だと思います」

政典さん「絶えずいろんなところから風が吹いてくるところかな。どこから吹いてくるかわからない風。その時によって匂いも違うし、それを感じて欲しいです」

康貴さん「海から太陽が登って海に太陽が沈むまち。これがすごくいいところ。空気の澄んでいるときは富士山も見えるんです。それから、君ケ浜の方にいくと夜中に『月への階段』っていうのが見えるんです。白波が立っているときに月からの光がずっとまっすぐ走っていくとそれが階段のように見えるものなんですけど。あとは地球の丸く見える丘展望館の展望台や、義経伝説もある犬岩(犬の姿に見える岩)。そういういい景色がこの街にはたくさんあるんですよ」

地球の丸く見える丘展望館

それぞれ、銚子の好きなところ、魅力をたっぷり語ってくれました。

しかし康貴さんは「全部ばあちゃんの受け売りなんです。ずっとばあちゃんの話聞いてたから、銚子の話はよく知っています。おばあちゃん子なんです」と笑います。

今回お話を伺って一番感じたのは、家族愛。お三方がお互いを思う気持ちが端々から伝わってきました。

島長水産と外川ミニ郷土資料館には、そんな島田家の愛情もたっぷり詰まっています。外川に興味のある方も、今回初めて外川を知った方も、訪れてみてはいかがでしょうか?

外川ミニ郷土資料館
銚子電鉄 外川駅から徒歩1分
開館時間 10:30~15:30
休館日 火曜日(祝日は開館)
入館料 無料
http://www.tokawa.jp/

さかなや 販売所
銚子電鉄 外川駅から徒歩1分
営業時間 10:00~17:00
定休日 なし
http://www.shimacho.jp/

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