バルーンでフォトジェニックに銚子を盛り上げる!黒柳純子さん

バルーンデコレーター、パーティープランナーとして、銚子に限らず、全国を股にかけて活動している黒柳純子さん。

銚子で話題のイベントやスポットをバルーンで彩ることも多いので、地元の方なら一度は作品を見たことがあるかも!
今回は、銚子で生まれ育ち、全く別の分野から一念発起してバルーンの世界に飛び込んだ黒柳さんを訪ねました。

黒柳純子さん(45)
銚子生まれ銚子育ち東京の中央工学校に進学し、卒業後はCADオペレーターとして勤務。
24歳でバルーンアートに出会い、26歳で独立。
世界公認バルーンアーティスト(CBA)、JBANホビーコース認定講師の資格を持ち、海外のバルーンコンベンションにJAPANチームとして出場。現在では、結婚式や各種イベント、コンサート等でバルーンアートを手がけている。

きっかけはあのドラマ!思い切ってバルーンアートの道へ

「高校卒業後は東京で製図の勉強をしていたんです」
バルーンアーティストとして活躍する女性の経歴とは思えない発言が飛び出し、インタビューの最初から衝撃を受けた編集部一同。
しかし、これはまだまだ序の口。お話を聞いていく中で、黒柳さんの思い切りの良さとチャレンジ精神に驚かされることがたくさんありました。
「製図版を使ってシャッシャッて書くやつ。あれがかっこいい、書きたい、と思ってその道に進んだんです。でも、実際はあんなことしないんです。あ、違ったって思って(笑)」
それでも製図を描くことが好きで、CADオペレーターとして土木関係の会社に就職することに。しかし5年ほどして、黒柳さんに転機が訪れます。

「『ひと夏のプロポーズ』っていうドラマの中で、主人公がバルーンの会社に勤めるんです。その時、なにこの仕事!って思ってすぐにその会社名を検索しました」
すると『エミリーズバルーン』という、ドラマに出てくる会社と同じ名前の会社がヒット。そこで、バルーンアートビジネススクールが開講されていたため、初級コースを受けてみることに。
「行ってみたら、楽しい!と思って。『バイトをさせて下さい!』と志願させて頂き、仕事をやりながらバルーンの世界に足を踏み入れました」

退職してバルーンの仕事に専念することに

しかし、本業をしながらでは土日しかバルーンの仕事はできず、携われる現場数も限られてしまう。そこで、黒柳さんはCADオペレーターの仕事を辞めて、バルーン1本に専念することに。
「もっとバルーンの仕事に携わりたくて、仕事を辞めて、いつでも手伝えますって状況をまず作りました。そこから知り合いも増えて、いろいろな現場を手伝わせてもらうようになりました」
前職の時は会社の寮に住んでいたため、退職とともに寮も引き払い、一旦銚子に戻ってきた黒柳さん。しかし、都内の仕事などもあったため、友達や仕事関係の人の家に泊まらせてもらいながらバルーンの仕事をこなしていたそうです。

そして転職した翌年に、銚子でPURE BALLOONを立ち上げ独立。それが今からちょうど20年前の1999年のことでした。

独立後は銚子市内外を問わず精力的に活動

「北海道でも福岡でも、必要とあらばどこへでも参ります」と黒柳さん。独立後は、全国を股にかけて活躍しています。
銚子ではお誕生等のギフトやウエディングのお仕事が中心だそう。友達から結婚式にバルーン装飾の依頼を頂き、そこから沢山のご縁でさまざまな仕事をもらうようになりました。

「お客様の要望になるべく近づけたいので、色合いとかテーマとかを丁寧にヒアリングします。宇宙人やUFOを作れないかとか、キャラクターの世界観を出してほしいとか、いろいろな要望があるのは大変だけど、楽しいんです。完成して喜んでもらえたならなおさら」
「これまでの思い出に残っている仕事はいっぱいありすぎて選べません。バルーンのことはなんでも好きだし、やっぱり自分が作ったもの、手がけたものにみんなが感動してくれたり笑顔になってくれたりしているのを目にするのが嬉しい瞬間。鳥肌が立つ時もあるし、そういうのがやりがいになってます」と黒柳さん。
特に結婚式では、新郎新婦様からお礼の手紙や言葉を頂けると大きな喜びを感じるそうです。

しかし、「これとこれを組み合わせたらこう見えるかな、色はどれを使おうかなと、思いつくまで、生み出すまでがすごく大変」とも。時には寝ないで仕込む事もあるそうです。
それでも、夢を与える仕事のせいなのか、終始笑顔が印象的な黒柳さん。
「少しでも楽しくやりたいんです。いかに楽しくできるかを考えているので、いつも笑顔でいるようにしたり、現場でもなるべく声掛けをしたり」と、チームプレイも大事にしているそうです。
「1人でも多くの人に自分が手がけたもので笑顔になってもらいたい、というのが一番の希望です」と笑顔で今後の抱負を語ってくれました。

印象的だった「銚子 × バルーン」

東京時代は土を踏むことがなく、実家に帰ってきた時には土に喜んで足踏みしたことがあったほど、銚子の自然を大事に思っている黒柳さん。
「銚子が好きだし、生活もしやすい。いいところをもっといっぱいみんなに教えてあげたいですね。以前東京の人に、銚子の駅前を『海外みたい!』と言われたことがあるんです。こっちからしたら普通の事も、そういう風に見えるんですね」と、銚子への思いをたくさん話してくれました。
「好きな場所は海鹿島(あしかじま)から君ケ浜にかけての海。プライベートビーチみたいな感じで」とのことで、PURE BALLOONのチラシ、HPには君ケ浜での写真が使われています。

「子供が海でカラフルな風船を持っていて、灯台が見える。そういう写真をいつか撮りたいと思っていたんです」「すごく晴れた日に、今だ!って言って急いで風船を膨らませて、子供を連れて撮影しました(笑)」
実は黒柳さんは私生活では中学生のお母さん。母親業とバルーン業の両立は大変そうですが、「出張に出かけることも多いので、出かけるときは後ろ髪を引かれちゃいますけど、家族がすごく協力的なので続けられるって感じです。主人にも実家の家族にも支えられています」とのことで、ご家族の強力なサポートも得ているそうです。

商工会議所などの活動で銚子を盛り上げることも

黒柳さんは、銚子を盛り上げるイベントなどでもバルーンアートを数多く手がけています。
軽トラ市銚子マルシェなど、市内のイベントにも精力的に参加している様子の黒柳さんですが、以前はそうではなかったようで…。
「以前は外に発信することをしていなかったんです。でも、久しぶりに会った高校の同級生に、『もっと前に出て行かなきゃダメだよ。地域に関わるセミナーとかにも出て。まずはfacebookに登録するよ』って言われて、そこから発信したり、いろいろなイベントに出るようになりました」
3年前には商工会議所の青年部にも入り、さらに精力的に活動するように。毎年12〜1月に銚子駅前を彩るイルミネーションでは、2年前から黒柳さんが手がけるバルーンとのコラボも行われ、3回目の今年も大盛況のうちに終了しました。

イルミネーションを作るにあたっては、「青年部の思いを元に飾ってるものなので、みんながどう思っているのかを大事にしました。みんなが思い描いてるイメージを形にしたかったので、すり合わせや共有が難しかったです」と、苦労もあったようですが、灯台や銚子電鉄、キャベツなど、銚子らしさを盛り込んだイルミネーションは大好評でした。

その他、銚子マルシェや元旦のバルーンリリースなど、市内のさまざまなイベントに、バルーンで華を添えてくれています。
最後に何か一言…と聞いてみると、「商工会議所青年部のみんなが銚子を盛り上げようと頑張っているので、一緒に盛り上げて下さる意欲のある方は、是非お待ちしています。」と、最後まで銚子を気にかけている姿が印象的でした。
今後はバルーンを通して、幅広い年齢層の方々と一緒に楽しい時間と沢山の笑顔を共有出来るように、バルーンを目にすることができる場所づくりを考えていきたいです。バルーンを身近に感じられるような」とも話していました。
今後はイベント以外でも黒柳さんの作品が見られる場所ができるかもしれません!!黒柳さんのバルーンアートに注目してみてください。

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