名もない活動ができる場所を作りたい画家・「かもめホテル」オーナーの宮内博史さん

宮内博史さん(31)

銚子生まれ銚子育ち
銚子商業高校を卒業後、大学で絵画の勉強をする。
卒業後は舞台に携わったり、大工に弟子入りしたり、鳥取、ドイツで生活するなどさまざまな経験をし、画家として活動。
2010年より、かもめホテルを運営している。

高校卒業後、絵を書く道へ

銚子商業高校では情報処理部に所属するなど、会計、情報、パソコンなどの勉強をしていた宮内さん。大学に行って会計士になるという道もあったものの、高校卒業後は芸術学科のある大学へ進学。

「中学の時は美術部でしたけど、絵を描くと言っても、漫画を写したりする程度。大きな油絵を描きたいと思ってもどうしたらいいかわからない。家族には反対されましたけど、お金を追いかけていたくない、何かを作ることがしたいと思って絵を勉強するために大学に行きました」

「でも、教授の言っていることが意味わからなくて。『いいか、りんごは台に乗ってるだろ、台は地球に乗ってるんだ。宇宙を感じろ』って。僕宇宙感じられないわ、と思って1年で勉強はやめました(笑)ただ、あの時は意味がわからなかったけど、今思うと、あの時そういう話を聞いておいてよかったと思ってます」

絵を描くことで家業のホテル経営のあり方を変える

大学時代、「『就職ってどうなんですか?』と先生に相談したことがあったんです。そしたら、『は?就職?くだらない』って(笑)。その人が衝撃的で面白くて、じゃあしないって決めました」

卒業後に携わった舞台(和光大学 Dance Performance Project Merry Zome 010 「旅にでちゃった」)

大学卒業後は舞台に携わり、身体表現やパフォーマンスのことを学ぶ機会もありましたが、「貯金を全部使っちゃったので、銚子に帰ってきて電気屋、魚屋とかのバイトをしながら絵を描いていました」と宮内さん。

そんな時、実家のホテルをたたむという話があり、「僕がやってきたことが活かせそうだから」と2010年にかもめホテルを作りました。

中学生くらいから遊びでデザインをしていたという宮内さん。母校の芸術学科のwebサイトや北海道の友人の店のwebサイトを作ったこともあり、これまでの様々な経験が後から全てホテル運営に生きていると言います。

「元々の名前は『ビジネスホテル中央』。中央町にあるから(笑)ここには誰も来ないって僕は言いましたね」

そこで、まず名前とイメージを変えようと、ホームページ作成やフロントや客室の改装を自分で行いました。

ビジネスホテル中央時代の客室

かもめホテルとしてリニューアルした客室

かもめホテルになってから2018年までのフロントの様子

ホテル改装の大部分はDIY

「ビジネスホテル中央」から大きな変貌を遂げた「かもめホテル」ですが、改装の大部分は、宮内さんのDIY。

「友人がお店を作るときに手伝ったことがあったので、床貼りや壁塗りなどは自分でしました」

しかしそんな時、東日本大震災が起こりました。銚子も津波の被害に遭い、「建物がなくなったら仕事がなくなる」と実感した宮内さんは、ホテルのことは遠方から管理しながら、1年間建築の職業体験に行くことに。そこで日本の社寺建築に感動して鳥取の大工に弟子入りしますが、あっという間に辞めてしまいます。

カンナ刃やノミだけで砥石を浮かせる事には成功

大工の世界に馴染めなかった宮内さんは、一つの居場所を見つけます。

「寂しすぎて、休みの日にレストランに行って『面白い人いないですか?僕友達がいないんです』って言ったら、鹿野町というところにいるって言う。また別のカフェに行ったら『あっちにいる』って言われて、出会ったのが鹿野町のNPO法人いんしゅう鹿野まちづくり協議会」

その後案内されたのは、空き家を活用してお店を作っている同世代の若者でした。

「彼らはもともとお店をやるつもりはなかったんです。でも、移住したら、ある日近所のおじさんが冷蔵庫を持ってきて、『お前らピザ屋やらんか?お前らならできる』って(笑)」

「まちづくり協議会の人に勧められるまま勝手に家に上がり込んで漫画を読んでいた僕に、彼らは焼きそばをご馳走してくれて、薪で沸かしたお風呂に入れてくれました。それが忘れられないんです」

その後、大工仕事や会計などを手伝ったりアドバイスしたりと、その若者たちとは良い関係を築き、2013年に帰銚、2014年には再び鳥取へ。その時はお店の裏の蔵に住まわせてもらい、廃校の小学校の空き教室をアトリエとして使えるようにもなり、鳥取県での活動に全力を注ぎました。

「制作場所、ご飯、寝るところもタダだし、資本主義を脱したぞ!と喜んでましたね(笑)たまに絵も買っていただいていたから、それでお金もなんとかなったので」

改装を手伝う様子

出会った仲間とお店の前で

お店の裏の蔵

旧鹿野小学校アトリエ

完成したお店での絵画展示 “羊” 2014年, 油彩, 100x80cm

地域のキャラクターを題材にした絵本の制作と読み聞かせ(ウマモナドフェスティバル2015)

鳥取から帰ってきた頃、装画を担当した書籍「銚子人」が完成(Community Travel Guide Vol.5 銚子人/ 英治出版)

しかし、このままでは行き詰まってしまうと感じた宮内さんは、友人とかもめホテルの一部屋をアートルームに改装した後、アートをもっと深く知るため、ヨーロッパに渡ります。

渡欧前に改装したアートルーム

特徴的なデザインの扉を開くと…

改装後は海のようなデザインに!

(2015, with Maiko Date)

ドイツや尾道でも空き家活動に出会う

犬吠埼と友好関係にある、ポルトガル・ロカ岬の「ここに地終わり海始まる」と刻まれた石碑の前で

「最初はポルトガル、フランスに2週間くらいずついたけど、馴染めないと思って。ドイツのベルリンは世界でも名だたるアートの街だと聞いていたので行こうと思いましたが、家を探すのが大変そうでした。鹿野町での経験から空き家に興味があったのでネットで探してみたところ、ライプツィヒのNPO法人である日本の家という活動に出会いました。」

2016年、ヒントを求めて辿り着いたのは、ドイツ・ライプツィヒにある「日本の家」という活動でした。ライプツィヒは、世界中から若者が集まる街です。日本の家の「ごはんの会」という活動を通して、80カ国の人と会いました。人種も宗教も違えば、言葉も通じないし、性別も謎だったりします。政府のOBや大学の教授といったハイソサイエティな人達だけでなく、 泥棒、アルコール中毒、ドラッグで狂ってる人まで、一生接する機会のないような人たちと出会いました。家族と離れて一人で船に乗り、 難民としてドイツにやってきた若者たちとも、文字通り同じ釜の飯を喰う生活をしました。世界の問題を肌で感じる事は、同時に希望を見つけるチャンスに繋がったように思います。
出典:かもめ新聞

ライプツィヒ「日本の家」ごはんの会での展示の様子
“シーサーか狛犬か” 2015年, キャンバスに油彩, 200x360cm

ライプツィヒの旧紡績工場群を利用した巨大アート施設「シュピネライ」でも活動(共同アトリエの雰囲気を知り、銚子に作ろうと思うきっかけになった)
“ライプツィヒの音楽家” 2015年, キャンバスに油彩,350x200cm

2016年には一時帰国し、ライプツィヒ「日本の家」の仲間と鳥取市鹿野町の友人のお店で交流イベントを行う

リトアニアより招待され、ドイツで出会ったアーティスト達とアーティストインレジデンスへ。現地の人たちと大きな絵を描くワークショップ

ドイツや日本の人たちと描いた絵をコラージュ

作品の中には、銚子でのワークショップの絵も使われました

現地の伝統的な建築意匠を取り入れて完成した作品
“LOVE & EGO” 2016, コラージュ・キャンバスにアクリル,550x200cm

銚子人の文字も

Kintai Arts Residency 2016 展覧会オープニングの様子
現地の人との触れ合いを通して地域文化とアートの関係を考えたことは、今の活動に繋がります」と宮内さん

それから、ライプツィヒと銚子、鳥取を何度か行き来し、2018年夏には空き家の活動が盛んな尾道にも行きました。「尾道ではシェアハウスやゲストハウス以外にも、DIYでリノベーションしたお店がたくさんあって、若者の活動がものすごい。空き家を自分たちでトントンしてなんとかなる。じゃあ銚子でもやろうかなって」

シェアハウス「ロクの家」も準備中

宮内さんは現在、空き家を活用したアトリエ付きのシェアハウス「ロクの家」の改装も行っています。

「ライプツィヒの日本の家で、友達がチェスを1日中やってたんです。知らない人ともどんどんやる。そこにはアル中だったりまともじゃなかったりする人も来たんですけど、そういう人をおおっぴらにサポートしなくても、チェスでコミュニケーションをとることで社会が支えられているじゃないかと思うんです」

「そういう、名前のない活動みたいなものに興味がある。それが今、ホテルや絵やシェアハウスに繋がっていると思います」

場所は見つかったものの、雨漏りがひどくてなかなか内装に取りかかれないという問題を抱えながらも、自分でコツコツ作業しているそうです。

「銚子では、大きなことをやっている人も多いけど、ちっちゃいことをしようとしている人がこそこそできるところがあまりないかなと思ってます。(シェアハウスを作れば)お金も繋がりもないし、地元でもない人が何かしたいってやって来るかなーと。僕が、銚子にそういう名もない活動ができる場所が欲しいと思ってやっているんです」

さらに、かもめホテル内にはギャラリーもあり、いたるところに宮内さんのクリエイター魂が現れています。

ギャラリー仕様になった現在のかもめホテルフロント

取材時に行われていたのは 宮内博史絵画展「このままでいいかもめ?」。「財政破綻したチパ県ブラック市。破綻直前の様子をかもめ達が再現します。」と、クリエイターならではの視点で財政難の地元に対して問題提起しています。

「このままでいいかもめ?」展示風景
“無言の圧力(ブラックかもめ)” 2019年, 画用紙にアクリル, 85x66cm

「銚子に対して、なんでこうじゃないんだ!とイライラすることもあるけど、本当は銚子が大好きなんでしょうね。だから愛憎入り乱れるじゃないけれど、思いが強すぎて…」

と話す宮内さん。

シェアハウスは、お客さんとお店の人ではなく、人として接することができる場所を目指しているそう。完成が楽しみです。

(聞き手・佐野明子/文・江戸しおり)

かもめホテル  https://kamomehotel.com
宮内博史  https://miyawrry.com

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